79. 変人Yの自叙伝、ロバストな人生を楽しむ


78. 電子回路はレゴブロックでサッと組み立て


77. 真空管アンプは唯一無二の価値で生き残る


76. お金持ちになるための一番ピン


75. システム開発:品質&開発効率の一番ピン


74. 原子力発電と火力発電をMBDする


73. 裏日本史:武内宿禰からの伝承と秘儀


72. 竹田恒泰氏:文筆力とビジネス力


71. 個人向国債が金利2%超!をモデルで説明


70. 消費税効果をモデルベース開発で予測する


69. 高市総理にお伝えしたい一番ピン思考


68. 経営と技術をつなぐ人見流コンサルティング


67. 品質を考えたモデルベース開発とは


66. 天皇家というシステムロバスト性


65. 人材育成を失敗するための悪魔の辞典


64. 飛んで移動するAI探査システム構想


63. ジョンレノン的ユートピアのロバスト性


65. 人材育成を失敗するための悪魔の辞典


64. 飛んで移動するAI探査システム構想


63. ジョンレノン的ユートピアのロバスト性


62. 国家のシステムロバスト性


61. MBSEのお手本 = 人見メソッド


60. SPACEXの開発はお手本だ


59. 従来の開発は考え方も手順も間違っている


58. AIにグラフィックアートさせてみた


57. マニュアルなしで使えるソフトが本物だ


56. いつまでも若くあるためのクルマ


55. 教育投資が成長力を決める


54. 仏教は 究極のコネクティビティシステム


53. すべてAIベースは、テスラの情報戦か?


52. 猫の国、変革しない国は滅びる


51. AIに小説を書かせてみた


50. イーロンマスクのFTP 第一原理思考


49. 大発明でイーロンマスク以上の富豪になる


48. ベテランの暗黙知をAIに入れる


47. ChatGPT の間違いを正す推論


46. 仮想世界で2万世代進化させる


45. やがてお金は絶滅する


44. MBD × AI で開発生産性を3倍にする


43. 知財発明には原理がある


42. 言語の意味理解


41. モデルベース開発の歴史


40. 雑誌 MotorFan 「SDVに負けない」


39. 雑誌 MotorFan 「MBDとは何か」


38. ひさしぶりのMBD技術講演会


37. モデルベース開発革新の成果


36. シリコンヒルズの思い出


35. シリコンバレーの思い出


34. トランスミッション開発のMBD


33. モデルベース開発のシンボルマーク


32. ケンブリッジへのオマージュ


31. MBD入門書 の執筆


30. 燃費30km/L の仮想車両が走る


29. 絵画 と MBD 、わたしにとってのART


28. 英国Secondmind社 ラスムーセン教授


27. 百歳になっても自分で運転できる車


26. RX-7 の開発


25. 航空機業界のMBD


24. 思い出深い MBD特許


23. 答えは時々ある


22. MBD三種の神器


21. 一流大手を凌駕したMBD


20. デザインとアート、シンポジウム


19. MBDの革新提案は


18. MBDの原点となった仕事


17. コンピュータアーキテクチャ


16. 角田さん


15. 人見さん(2)


14. 人見さん(1)


13. 日本発 MBD国際標準(3)


12. 日本発 MBD国際標準(2)


11. 日本発 MBD国際標準(1)


10. ハーマンハウザー卿


9. ケンブリッジ大学 人間とAI


8. ホーキング博士の時計 〜伝説のパブ


7. 元寿司職人がMBDエンジニアに


6. ルマン総合優勝に貢献したMBD


5. フリーズする制御モデル


4. 合わない燃焼モデル


3. MBDの開発プロセスについて


2. RapidECUについて


1. MBDについて


14. 人見さん(1)

2026/04/29 19:23

 Googleで 人見光夫 とタイプすると、天才、、、、と出てくる。

 確かにそうだ。

 でも私にとってはそれ以上の存在、ずっと師匠として師事してきた。



やはり一番思い出深いのは、SKYACTIVエンジンの開発、その誕生からデビューまでの、密度高い時間であろう。


それは会社だけでなく、仕事が終わったオフサイトでも続いた。私が人見さんとのことで誰にも負けないのは、人見さんとオフサイトで飲んだ回数だろう。これだけは私の世界一記録。当時は毎週金曜日の夕方から土曜日の朝方までご一緒した。 SKYACTIVのアイデアのいくつかも、行きつけのバーの片隅で生まれてきた。 そこのママさんからは、「ここは会議室じゃないのよ、そろそろ帰って」と朝2時頃にはいつも言われた。毎回素直に、朝3時頃に店を出て、今度はママと3人で、3軒ほどはしごして帰った。ものすごく長い時間、じっくり語り合うことができた、今考えれば貴重な夢のような時間をいただけた。会社生活で、常に、一番の心の支えだったことは間違いない。


人見さんの著書に、「答えは必ずある」という本がある


ここまで語って良いのかなと思える暴露本?である。SKYACTIVエンジンが開発された時のエピソード、その考え方の哲学が書かれた本だった。 その本が出版されたとき、人見さんから「渡したいものがあるから席まで来てくれ」、と呼び出され、その本を受けとった。自筆サインがあり、「大酒豪 **さんへ  人見光夫 2015年2月20日」と記されてあった。






 この本の中で、私は実名で登場する。

 「こころを1つにして 馬車馬のように働いてくれた、こうでないと革新は成功しない」

 とお褒めをいただき、恐縮した。

  でも、人間ではなく 馬?  できるだけ早く人間になりたい、と思った。




 私と人見さんとの出会いは、2004年


 私はある確信と志があって、人見部長の部門への異動を志願した。少し話を遡ると、私は2002年頃から、商品構想設計をモデルベース開発を使って革新する取り組みを行ってきたのであるが、それは成果が出たものの、どうにもならない限界も感じていた。その限界の理由は、いずれも先行開発段階での技術準備に関わることであった。それをブレークスルーする取り組みを、じっくりやってみたい、ということが志願の理由だった。


 2004年に転籍してしばらくして、CAE解析部門のグループマネージャーに任命された。当時は、まだまだモデルベース開発は日陰の存在で、設計者の頼りにされていると感じたことはほぼなかった。当初は、人見部長にとっても、不可欠な存在ではなかったかもしれない。天才にとっては、MBDなんかなくても、大きな成果を出せる自信があったはずである。人見さん個人には必要なかったはずだが、それ以外の社員の考える力を増強&効率化するために必要であるという意義だったと思う。少なくとも当時は。事実、「こんな答えになると思うのだけど確かめてくれるか?」と人見部長から依頼されて、1ヶ月以上かけてスーパーコンピュータで計算しまくって求めた答えが、人見さんのおっしゃる通りになる、それがたびたびそうなるものだから、天才に感心しつつも、エンジニアのほうではではさみしい感じがしたものだった。


 しかし、究極の貧乏が人見さんの心を動かしたと感じている。


 当時、大きなリストラの直後で、人見部長率いるパワートレインの先行開発の人員は70名。うち40名は量産開発の不具合解析などしている実態だったので、純粋に先行開発している人員は、たった30名。予算もつけてもらえない。新人もほぼ入ってこない。

 当時、大手自動車メーカーでは、パワートレイン先行開発は1000名体制であったから、これでは何もできない、


 とんでもない超効率化革新をするしか手はない、という考えに行き着いたわけだ


 私はその20年前から、終始、モデルベース開発による開発革新を、会社生活でのライフワークにしてきた変人。人見さんの思いと、私のやってきたことは完璧なマリアージュをした、ワインとチーズの関係のように。 開発生産性を数倍上げるための構想書は、二人三脚でどんどん仕上がっていった。そして、役員への提案の機会が来た時、人見さんは完璧な話術で役員の心を鷲掴みにした。それはこうだ。


「私たちは野球をしたいのですが、ボールもバットもありません。

 人もお金もないのは知っていますが、せめてボールとバットだけ買ってください。」


 私たちにとってのボールとバットは、スーパーコンピュータと モデルベース開発 であった

 これから毎年の投資がはじまった。






後日追記:2026年4月 

 株式会社i-Models  代表取締役社長 人見光夫 

 としてお迎えできました

https://i-models.jp/Advisor/news/news2/index.html


後日追記: 人見社長の一番ピンブログ はじまる

https://i-models.jp/Advisor/blog/Blog1e/index.html