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〜 ミスター・モデルベース開発 と呼ばれた男の独言 〜
ヘンジニア
51. AIに小説を書かせてみた
このブログの「45話. やがてお金は絶滅する 」で私が描いた超短編小説、これをAIに 再創作させてみた。
谷崎潤一郎風 と 志賀直哉風 の2作である。 まず最初に 谷崎潤一郎風から

その人、K氏という者は、今となっては何処にいるのかもわからず、ただ遠い時代の片隅に、ひっそりと息づいていたような存在であり、世の光をあびることを望まず、むしろ影のなかに身を浸し、その仄暗さをこそ、むしろ美と見做していたような、そんな稀有な男でありました。入社のその日から、異形のごとき風貌と、時に妖しげな沈黙をたたえた言葉遣いとで、周囲を少しずつ遠ざけ、彼の内にあるものの片鱗にさえ触れ得る者はおらず、出世とか賞賛とか、そうした光の言葉はまるで毒であるかのように、それを避けるように仕事を選び、自らが心の底から「よし」と頷けることだけを、ただ粛々と為していたのでございます。
三十の齢を迎えた春のこと、彼はひとつの発明をし、それはまるで、霞のなかに白鷺がすっと佇むような、美しく静かな奇跡でありました、庶民の使うありふれた機械に、神の領域とでも申しましょうか、かの大型計算機にも匹敵するような最適化の力を宿らせたのでございます、されどその異様さゆえ、誰にも理解されることはなく、むしろ恐れられ、あるいは無視され、評価の帳簿には何ひとつ記されることなく、彼の仕事は、煙のごとく、空気のように、誰とも知られぬまま会社のなかに浸透してまいりました。
五年の歳月が過ぎた頃、Jという、凡庸ではあるが声の大きな男が、K氏の遺したその技術を、まるで偶然のように使い、量産の大難題を一挙に解決してみせたことがございました、それは確かに功績には違いなく、上司たちは喝采を送り、J氏は次々と階段を駆け上り、賞与は重なり、肩書は変わり、やがて幹部へ、役員へと成り上がっていったのでございます。
その後も同じようなことが幾度となく起こり、Jのような者が何人も現れ、そのたびに称賛は賑やかに鳴り響き、祝福の宴は華やかに飾られましたが、その一方で、真にその根を築いたK氏は、主任試験すら落ち続け、四十五の春にしてようやく合格するに至るも、栄誉の光は彼の肩には一向に注がれず、むしろその背中に当たる窓明かりだけが、彼の静かな顔を浮かび上がらせていたのでございます。
三十年が過ぎたある年のこと、風向きがふと変わり、新たに就任した本部長の目に、古き技術の真の価値が映り、それはまるで古寺の欄間に差し込む斜光のように、彼の名をそっと照らしたのでありましょう、六十を迎えたK氏に部長の称が与えられた時、彼は笑いもせず、ただ少しだけ困ったような顔をし、「わたしはまだ、当たり前のことしかしておりません、自分にさえ納得できておりません、評価など、欲しくはないのです」と、まるで独り言のように呟いたのでございます、その声は、薄明の座敷にかすかに響く風鈴の音のように、静かに周囲に染み入りました。
この国では、ひとつ、革新が凄すぎる時には誰にも理解されず、ふたつ、成果が出ても因果が見えず、みっつ、さらに進化すると誰も追いつけず、よっつ、目利きに出会えなければ永遠に評価されぬという宿命が、静かにけれど確実に、人の上に影を落としているのでございます。
次に志賀直哉風でお願いすると

K氏は、入社したときから少し風変わりなところがあった。何事にも動じないように見えたし、誰に対しても礼を欠くことはなかったが、出世とか、評価とか、そういった類の話には興味がなさそうだった。むしろ、他人に理解されることを避けているようにも思えた。
彼は、褒められるのを嫌った。自分の仕事が、上司に理解されているとわかった瞬間、どこかで気持ちが冷めてしまうようだった。彼にとって、何より大事だったのは、自分自身が納得できることだった。他人の評価がどうあれ、自分がよしと思えばそれでよかった。
三十のとき、彼は一つの発明をした。普通のパソコンで、大型計算機と同じような最適化問題を解けるようにする技術だった。けれど、そのすごさを理解する者はいなかった。評価はつかず、社内の仕組みにも反映されなかった。ただ、その技術だけが静かに、誰とも知られず、空気のように会社の中へ浸透していった。
五年ほど経って、その技術を使ったJという社員が、開発の現場で難題を解決した。Jは特に抜きんでた才能があったわけでもなかったが、上司は大いに彼を評価し、Jは昇進していった。それを皮切りに、似たような事例が次々と現れた。K氏の技術を無意識に使い、成果を出した社員たちが、次々と幹部になっていった。
一方、K氏は主任試験にすらなかなか通らなかった。何度も落ち、ようやく四十五のときに合格した。だが、その頃には周囲の同期はみな肩書を変え、立場も生活も変わっていた。K氏だけが、変わらなかった。
それからさらに十数年が過ぎ、ようやく「あの技術を最初に作ったのは誰か」という噂が、社内で広がり始めた。そして、新しく就任した本部長がその名前に目を留めた。六十歳のとき、K氏は部長に昇進した。異例の抜擢だった。
そのとき、K氏は少し困ったような顔をしていた。嬉しそうにも見えなかったし、誇らしげでもなかった。ただ、静かにこう言った。「私はまだ、当たり前のことしかしていません。自分に納得できていないんです。評価してほしいとも思っていません。」
もし、成田という人の言うように、過去の技術と今の成果との因果がきちんと記録され、そのたびに価値が後から支払われる仕組みがあれば、K氏の人生は違っていたのかもしれない。彼の技術が三十年間、千台のパソコンで使われ、大型計算機の代わりを果たしてきたことを考えれば、五百億円程度の価値は軽くある。だが、そうした数字では測れないものも、確かにあった。
この国では、革新がすごすぎると誰にも理解されず、皆が使って成果が出る頃には因果が見えなくなり、さらに進化すればますます理解されなくなり、最後には目利きに出会えるかどうかが、唯一の救いになる。K氏は、たまたま目利きに出会えた。だから、まだ運がよかったとも言える。
多くの人間は、見えないままに消えていく。名も残らず、知られることもなく。K氏は、それでも構わないという顔をしていた。自分がすべきと思ったことを、静かに、正確に、やり続けてきただけだった。彼の仕事には、何か清らかなものがあった。
実は一発でここまで書いたわけじゃない、それぞれ3回ほどダメ出ししたら、適切に直してきた、
まだ手直ししたいところはあるが、今回はここまで。
でも、 いやあ まいったなあ、ここまでやるとはね、、 人間でもこのスピードでこの品質は無理だろう
この小説、モデルはいるの? と思う人はいるだろうけれど、私小説でないことだけは確かだ。だけど長く社会におれば、
「なぜこんなに素晴らしい人が評価されないのだろう?と言う事例はいくつか思いつくし、逆もまた真なり。不条理だなあ」、
と思ったこともしばしばある。