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36. 様々な シリコン*** の思い出


  自動車メーカーに勤めていた頃、先進技術の開発 を担当していたことから、世界中の先進技術を担う地域を多く訪問していた。決して遊びで訪問したのではないよ、と弁明しても、同僚の多くは笑う。そこは受けるところじゃない、マジなんだけどなあ、、、みんな、私が遊んでいたと、信じて疑っていないようである。まあいいわ。

 CASEの時代、ソフトウェアの時代、、に備えての、IT分野やソフト分野やDX分野GAFA分野、、の技術のメッカに出向いての真面目な活動だった。特に私の本部がオフィスを持っていたシリコンバレーは足繁く通ったが、他にも 多くの シリコン***と呼ばれる 先進技術のメッカがある。ネット検索するだけで、下記のような シリコン先進地域があると出てくる。 全部を訪問したわけではないが、そのいくつかは訪問した経験がある。仕事の話はできないので、そこでの、オフ時間での思い出だけ語ってみたい。


 ・シリコンバレー(谷):カリフォルニア州 サンノゼ

 ・シリコンプレーン(平原):テキサス州 ダラス・フォートワース

 ・シリコンフォレスト(森林):オレゴン州 ポートランド

 ・シリコンマウンテン(山地):コロラド州 デンヴァー

 ・シリコンデザート(砂漠):アリゾナ州 フェニックス

 ・シリコンヒルズ(丘):テキサス州 オースティン

 ・シリコンアレー(小道):ニューヨーク


<シリコンヒルズの思い出>

 IT系など  ハイテク企業、の集まる地、近年では、シリコンバレーの家賃が高騰し、住めなくなって、シリコンヒルズに移転の企業も多いという。何しろ、シリコンバレーは年俸1000万円では、家賃しか払えない、、、生活が成り立たない、という地域だからねえ。

 テキサス オースチン は、音楽の都でもある。ストリートミュージシャンが多く、この地から、一流のミュージシャンになった人たちも多い。 ある時、訪問したタイミングが、ちょうど、何かのイベント期間だったらしく、ハーレーダビッドソンに乗った人たちが、街に100台以上、集結し、たむろしていた。とてもアメリカンな、夜の街だった。

 仲間と一緒に、オースチンの夜の街中を、音楽バーをはしごして歩いた。ビール一杯を注文すれば、その店で演奏するプロまがいのミュージシャンの音楽を聴ける。数曲聞いたら、次の店へ。通りには音楽が溢れ、気に入った音楽が聞こえる店に、次々に入っていくのである。 
数軒をはしごして楽しんだ。 オースチンの素晴さは、安全であること。夜でも家族づれでも歩ける街なのだ。素晴らしい場所だった。仲間と一緒に、ウィリーネルソン(私の年齢以上の人しか知らない有名ミュージシャン) の銅像の前で、記念撮影した。この地に来たのであれば、テキサス州のシンボルである1つ星のベルトバックルを買って、それを身につけるべきだ!とすすめる御人がおられ、仲間でお揃いのベルトバックルを買った。これをつけていれば、税関検査もフリーパスだ、テキサスの空港では、王様のようにあつかってもらえる!と嘘のような本当のようなまことしやかな話を信じて楽しんだ。


<シリコンデザートの思い出>

 とにかく、暑い地域で有名だ。そりゃそうだ、もともとこの地は、半導体の熱害評価テストのために選ばれた高温の極地であった。その経緯で、多くの半導体産業関係の会社が所在したのが始まりだが、今では、多くの先進企業が集まる地となっている。その理由もまた、シリコンバレーより、経済的にはるかに住みやすいということらしい。

 ある時、この地を訪問して、フェニックス空港を降り立つと、外気温は50度超えだった。暑いというよりも、痛いという感じの暴力的な外気温。外を歩き続けると、命が危ないなと思った。

 仕事が終わって、お楽しみのビアガーデンだあ、満席でなかなかはいれない。30分は暑い場所で待った。やっと室内に入り、涼しい冷気に救われた。早くビールを飲みたいを思っているのだが、さらに奥まで通される。行き着いたところは、涼しい室内を通り抜けてしまい、中庭の屋外であった。このショックは計り知れない。でも取りあえず、一刻も早いビール!と注文した。

 地獄を知ったのはこの後だ、冷たいビールが来たが、5分置くとお湯になった。外気温50度越えとはそういうところだ。飲み遅れてお湯と化したビールは、地面に捨てて、新しいビールをお代わりし続けた。


<シリコン ヘッドストリーム の思い出>

 
これは私の命名だ。ケンブリッジのことをこう呼びたいと思っている。現代のコンピュータの概念の多くは、ケンブリッジを源流(ヘッドストリーム)として生まれたのだから。現代型コンピュータが生まれて70年余、ノイマン型コンピュータと呼ばれるものだけであった、最近生まれた量子コンピュータを除けば。宇宙人だったとしか思えないと言われるユダヤ系ハンガリー人の天才ノイマンが、アメリカに亡命後、発明したとされる。でもノイマンにヒントを与えたのは、ケンブリッジ大学 の アランチューリング であったし、世界初のノイマン型コンピュータは、実はノイマンたちによってではなく、ケンブリッジ大学で開発されたのが1947年。

 ケンブリッジを訪問した思い出は、ブログにたくさん書いたので、もうあまり書くことはないのだが、やはり1番の思い出は、ARM社の創始者、ハーマンハウザー卿との思い出だ。たしか春の良い季節だった。お昼になったので、ハウザー卿のガイドで、ランチのレストランまで散歩した。ハウザー卿は、キングスカレッジの出身者であったので、その構内の案内をしていただいた。

 ケンブリッジ大学には、コンピュータ関係ビッグネームによる、恩返し寄付が多くある。ハウザー卿も、100億円以上と思われる寄付をされており、ハウザー地区と呼ばれる建物群がある。マイクロソフトのビルゲイツも、ケンブリッジに足繁く通い、ケンブリッジ構内に、数十億円の寄付と言われる、ビルゲイツビルを建て、研究施設として供している。これには裏話があり、ケンブリッジ大学の有名なコンピュータの権威である教授を、アメリカに招聘しようとして断られ、やむなくケンブリッジ大学構内にマイクロソフトの研究施設を作ったということだった。

 来ないなら建ててしまおうホトトギス、いずれにしても、スケールがちがう話だ。

 
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〜 ミスター・モデルベース開発       と呼ばれた男の独言 〜

ヘンジニア