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34. トランスミッション開発のモデルベース開発
つい先日、懐かしいメンバーと、とても久しぶりに再会できた。入社当時から仕事を一緒にさせていただいたN氏の退職記念パーティーであった。昔々、トランスミッション開発をいっしょにやったメンバーも集まっていた。
2つ 話があるのだが、順番に話してみたい。
1つ目の話は、1985年頃からだったと思う、トルコンレスの、湿式クラッチ制御による、制御系開発を行っていた。オートマチックトランスミッションであったが、AT車と言うよりも、MT車を自動制御する自動変速操作ロボット、と言えるものだった。当時、ETXという愛称で呼んでいた。ダイレクト感があって、独特の魅力であったが、制御としては安定せず、随分苦労した思い出がある。
1日かけてファインチューニングして、変速ショックもない良いチューニングができたと確信しても、翌日確認すると、全くショック感が違う、なぜ??? やってもやっても安定しない。
ハードウェアの問題に違いないと、2Wに一回は分解整備、、、、もう一度、ファインチューニング、、、今度こそOK! でも、、、別の日に確認するとだめ。 条件や環境は、大きな違いがあるとは思えない、どうしてなんだ!?
この仕事の1年前に、油圧式ペンシルシリンダを用いたスロットルバイワイヤ制御にとりくみ、 モデルベース開発を使って、あらゆる制御モデルのポテンシャルはお試し済みであった。もっともロバストであると思えるフィードバック制御制御アルゴリズムをここでも使ったが、それでも十分ではなかった。
普通、オートマチックトランスミッションには、トルクコンバーターという、ショックを吸収してくれる滑る装置がある。この効能で、なめらかになる反面、MT車のようなダイレクト感や早いレスポンス感が失われる。
私たちが取り組んでいたこの技術ETXは、トルクコンバータがないので、変速の時のクラッチ切り替えのショックが、ものすごく敏感に出るのだ。人間がMT車を運転するときも、よっぽどの熟練者でなければ滑らかにつなぐことができないのは、知られているところだ。
自動制御ロボットであるETXもその苦労にはまっていた。フィードバック制御の工夫で、クラッチ接続中の滑らかさは保障できたが、最初にクラッチが触れる瞬間の衝撃だけはどうしても安定しなかった。
ショック感度の高いETXでは、この初期状態の最適化まで、徹底しなければいけなかったということである。
初期値最適化のフィードフォワード制御 と クラッチ切り替え時の滑り率フィードバック制御 を組みあわせて、どうにかこうにかこの問題を押さえ込んだ。 当時、共に油まみれになってこれを成し遂げたN氏と、この思い出話を懐かしんだ。
昨年、M社は、トルコンレス8速自動変速機を搭載した高級車を商品化した。「あの技術、世に出ましたね」と感慨深く話した。あの要素技術を、さらにさらに高度化し、素晴らしく進化させ商品化した若い後輩には、敬意を評したい。
(掲載写真は最新型AT、2023年マツダ技術報告誌から)


2つ目の話は、1995年頃から始まった、内製の4速ATユニット開発。このとき、一緒に苦労した、一流エンジニアたちとひさしぶりにお話しできた。当時はみんな若手凄腕エンジニアだったが、お互いに老齢エンジニアになったねえ。
当時、私は、ロータリーエンジンでのモデルベース開発を成功させて、意気揚々と 他のエンジンへもモデルベース開発を水平展開することを進めていたのだが、技術の壁と言うよりも、当時のベテランの心の壁にぶつかり、、、、座礁していた。

1995-2000年のMBD革新は、駆動系部門で大いに進展した! 量産開発のど真ん中で、仕様書をモデルで書いた、動く仕様書に変革し、数千でも数万でも、自動机上実験を無数に机上で実施、自動評価までした。従来の開発では考えられられないほどの高い生産性で、開発が進んだ。商品化できたATユニットも、世界に誇れるもので、その後、当分の間、M社の商品をささえるものとなった。
(左図は、ネット公開されている講演記事から。ちょうど駆動系のMBDをやっていた1997年頃に書いたものだった)
あの頃、すごい勢いで仕事したよねえと、話に花が咲いた。とても久しぶりに懐かしいメンバーと会い、 美酒 を味わった。やはり、仲間はよいな。
〜 ミスター・モデルベース開発 と呼ばれた男の独言 〜
ヘンジニア