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25.  航空機業界のMBD


 ダッソーFORUM 2015 での 特別講演を承った。

基調講演は、ダッソー ベルナール・シャーレス社長、特別講演は、AIRBUS社 VPの D氏 と、私の方は、「スカイアクティブの開発とそれを支えたモデルベース開発」というお題でお話しした。ダッソー社のMBDツールを大いに活用して成功したご縁からであった。


 後日、 ダッソーFORUMで知り合った、AIRBUS社のVP、そしてダッソー社の特別なご配慮をいただき、フランスのAIRBUS社本社(フランス トゥールーズ )を訪問することができた。
AIRBUSは、MBDについての先進的な取り組みをしてこられたということを、よく理解することができた。1980年代、航空機の自動操縦システムの開発、競合である米国ボーイング社と連携して、システム開発。その際、航空機構造についてのモデル標準化ルールが策定され、モデルベースのモデル流通を、古くから運用しておられることも知った。

  

   もうひとつ、驚いたことがある、すでに公になったので話して良いことだが、エアバス社では モデルベースのための特殊な言語開発までしておられたということ。SCADEというツール名で、すでに民間企業へ権利譲渡されているもの。最初はフランス企業に譲渡されたが、その後、米国のツールメーカー大手アンシス社の配下となっている。

 このSCADEは、当初は、フランスの国家予算からの補助を受けて内製開発したもので、MATLABよりも言語記述が厳密で正確であるため、網羅的な品質確認をしなくても、最終のコード品質が高いことが特徴。航空宇宙であるがゆえに、ここまでこだわるのだ、すごい、と感心した。


 エアバスのエンジニア達は、私たちが自動運転(Co-PILOTでの人間中心の自動運転)に取り組んでいることを知ると、その難しさについて、リスペクトとしてくださった。いや、気の毒そうに可哀想なものを見るような顔をしてくださった。空では子供もお年寄りも飛び出してこないけど、 車の自動運転は、もっと難しいだろうねと。

  機械の制御と人間による制御と、どちらを優先すべきかの話題にもなった。

航空機の自動操縦システムを開発した当初、ボーイング社 と エアバス社 では コンセプトが全く違っていた。ボーイングは、人間中心のシステムをめざしあくまでも自動操縦は補助的なもの、とした。一方、エアバスは、人間はミスをするものであるから、それを救うべく、機械中心のシステムを、めざした。

 この成否は、不幸な事故で、決定的なものになる。名古屋空港上空で、その不幸な事故は起こった、機械の不調で、機体が下を向くのを、パイロットは必死で修正したが、機体はパイロットの意思を無視して墜落したのだ。乗員数百名が全員死亡。航空史に残る悲惨な事故となった。その後、エアバスのビジネスは長い間、停滞、ボーイングが優位に立った。


 エアバスのエンジニアに、私はこんな質問をしている。

「現在のエアバス社の 自動操縦システムは、機械中心ですか?人間中心ですか?」

先方の回答はこうだった

「もちろん、機械中心ではなく、人間中心のシステム としています。

   たとえ自動操縦中であろうとも、常に人間の操縦が優先される」

 わたしたちも 人間中心の自動運転システムを めざしていたので、お互いにガッツポーズをした。




 ダッソーの講演の話にもどすと、ダッソーがフランス企業だからということもあって、ルマンの24時間耐久レースにおいても、MBDを使ったのですよ、というエピソードを紹介した。

その資料から(いまでもネットで検索可能でした)。



・1989 年:  MILS の初期の成功事例は、1991 年ル・マン 24 時間レースにおける総合優勝車両の開発である。我々はル・マンの路面モデル を作り、この仮想コース上で、規定の燃料量内で一番早く 走るためのエンジン~車両の設計を行った。この MBD ツールはサーキットシミュレーションと呼ばれた。


  思い返すと、我々のモデルベース開発は、1980 年代、 資源面で余力がなかったロータリー開発の中で生まれた。 世界中で誰も助けてくれない、普通のやり方では生き残れない、自分たちで革新しなければ滅亡する、という危機感 の中から生まれてきたともいえる。


 
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〜 ミスター・モデルベース開発       と呼ばれた男の独言 〜

ヘンジニア