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19. MBDの革新提案は、

提案書の説明会は、ロータリー実研研究開発グループのH課長だけでなく、パワートレインの制御部門の部長、課長、も集まってくださった。制御部門の長からは、「意味がよくわからない、制御はもともとソフトウェアだが、なぜそれをモデルにするのか?、、、、」などの質問が相次ぎ、、、反応はきわめて鈍かった。若輩者の熱意とは逆に全くの空振りに終わった、のを覚えている。H課長が、後でフォローしてくださったのは、「お前の言うことは、わたしも理解できないが、すごいことを言っているような気がする。自由にやってみろ!」 ここから10年以上の間、人見さんと出会うまでの間、理解者は皆無に近かった。まあ、そうだろう、制御部門の長が理解できないことを、他の人たちが理解してくださらないのは、当然だろうと思った。
まあ、そんなことはあまり気にせず、すぐに忘れて、また研究開発に没頭する日々が続いた。
ロータリーエンジンを開発するための、rapid-ECUの開発を進め、それを動かすべく、レゴブロック型制御言語の開発を行い、91年にデビューすることになるあの名車RX-7の開発を楽しんだ。

もう一つの思い出は、当時、世間のターボエンジンはドッカンターボと言われる通り、リニアリティはなく、ターボのON/OFFで性格が豹変する車ばかりであった。アクセルをトルク目標の入力ととらえ、トルクの代用指標をフィードバック制御して、ターボの切り替わりに関係なく、その他の様々なハード切り替え機構の段差をカバーし、きわめて滑らかにリニアリティあるトルク制御可能な制御モデルを開発した。1990年に特許発明となったこのモデル資産は、その後、ロータリー以外のエンジンにも移植され20年以上使われ続けることになる。ZOOMZOOMの走り感を支えることができたかなと思っている。2008年からは、それをアップデートした特許発明でZOOMZOOMを磨いた。
成功ばかりではない、とんでもない失敗も、この頃やらかしている。自作rapid-ECUを使って、ベンチでのエンジン性能開発をしていた時のことだった。エンジンがソフトウェアのミスで失火してエンストした。ここまではよくあることだろう。燃料噴射インジェクタが開いたままの状態でエンスト、実車であれば燃料ポンプも止まるので、大事に至らないが、ベンチでの燃料ポンプは独立装置で駆動しているので燃料を送り続ける。あっという間に燃料がエンジン燃焼室内部〜 吸気管を満たしポタポタ雫を垂らした。排気管にあたったり、静電気で火がつけば火災に至る直前の事態に陥った。すぐに適切な処置を行い、大事には至らなかったが、血の気が引いた。
その後、その場合でも、保護すべく、エンジン回転数信号が途切れたら、コンピュータを介せず、即強制的にインジェクタを閉じるフェールセーフ回路を組み込んだ。性能機能ばかり夢中になると、とんでもない失敗に至ると、思い知った。1984年頃にも同じような大反省をした気がしているが。。。。
H課長は、その後、部長になり、本部長になり、専務になられたが、直属の上司でなくなった後も、毎週の定例会議を私に設定してくださり、「お前のいうことは、あいかわらずよくわからん、が信じる」と言われ続け、支えていただいた。これは今も感謝をしている。

同時期に、3ローターのコスモも開発したが、そちらへは制御系はほぼ水平展開であったから、あまり手をかけて苦労した覚えはない。コスモのほうは、ハードウェアエンジニアの方たちの、ものすごい苦労があった。 RX7とコスモの開発が並行して行われていた頃、盆連休はグループ員全員が返上して働き続けた。数ヶ月後に盆連休の代休を頂いたが、もう盆でも夏でもなかった。昭和の仕事流儀だ。
若い頃のメモリアルは、やはりこのRX-7の開発だったな、開発した車だったが、高すぎて買えなかった、400万円越え、夢のまた夢だった。
〜 ミスター・モデルベース開発 と呼ばれた男の独言 〜
ヘンジニア