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16. 角田さん
わたしが社会人になった時の最初の上司であった人、角田鎮男博士。40年近い会社生活で、二人の天才に出会ったが、その最初に出会った天才が、この尊敬すべき上司だった。
当時の専務役員、ロータリー開発の47士のひとりでもあったM氏が、「我が社には天才が一人いる、それは角田だ」と仰っていたのをおぼえている。

東工大の力学モデルの重鎮、N教授は、角田博士の教えを請うために、足繁く広島に通っておられた。N教授もまた、「角田さんは100年に一度出るかどうかの天才だ、現代のニュートンだ」と、べた褒め状態であったことを覚えている。N教授は、角田博士の理論、その説明、日本語ばなれした宇宙語を翻訳し、その理論を専門書として出版してくださった。力学全体を根底から革新する、と、K大学の同分野の重鎮、I教授の評がある。
1998年にこの理論は、角田博士とともに特許出願した。


前述の天才、人見さんとは、その20年後に出会うわけである。よく、会社員は上司を選ぶことはできない、と言われる。 私の幸運は、いずれも、自ら希望してその人の下に入れたことだ。希望が通ることはほぼないのが常であろうが、二人の天才と、奇遇にも密に仕事ができたことは、わたしの幸運。
(図は、Google Patent から、当該特許を検索したもの)
<追記>

サーキットのコースの距離、R、勾配、、、情報をいれれば、その地で最高の性能を出すための車の設計が導かれ、最高のタイムと燃費で走るための走り方が自動最適化された。F1ドライバーであっても、操作のばらつきによるタイムのばらつきは小さくない。人間の感覚器は万能ではない、音で駆動力の感じ方はだまされるし、燃焼噴射の状態はドライバーには感じ取れない、、、、F1ドライバーであっても感じ得ない領域まで、走り方をベストに統一させるべく、人間 のばらつきを縮小させるためにMBDをつかった。(事情は ダイアモンド社の書籍に詳しいが、すでに絶版)
他社が、新しく変更されたコースでの戦い方を、しくじり、次々に脱落する中、787Bマツダ車だけは最後まで、全開走行をつづけた。ベンツも前年度の覇者ジャガーも、終盤では、ガソリン消費が規定オーバーしそうで、全開走行すらできなかった。
このサーキットシミュレーションがなければ、ルマンでの日本車初の総合優勝はなかった。
「開発者とドライバーとメカニックの 三位一体のコミュニケーション言語として このモデルを開発した」
と 角田鎮男博士 のことばがある。
角田鎮男博士に、栄光を捧げたい。 2024/3/30 他界された。 ご冥福を 心からお祈りしたい。
師匠は、あの世でも、まず最初にパソコン購入され、モデル開発を続け取られおられるであろう。
〜 ミスター・モデルベース開発 と呼ばれた男の独言 〜
ヘンジニア