12.  日本発 MBD国際標準 <第二話>


 モデル流通のためのインターフェースガイドラインの苦労:国内編。

 このガイドラインには雛形があった。1998年に出願した特許で、車一台を繋ぐための標準化構造に関するものがある。この使用権を無償許諾することにした(そもそも知財権が切れる直前だった)。あらゆる形式の車両、EVにもHEVにも対応できる自負があった。これで良いだろうと思い説明したが、反応が極めて鈍かった。気に入らないところあったら、このルールを変えるから、言ってくれ、といっても反応が鈍い。各社とも社内に様々なルールがありすぎて、1つの意見として説明すること自体が困難な状況だった。そんな中、一流のモデルベースエンジニアS氏が貴重な意見を述べてくれた。他からもいくつかの意見をいただき、1つの案に仕上げた。これをもって、国内のモデル接続ガイドライン初版完成、という第一歩が始まった。

 しかしながら、OEM数社の意見を1つにまとめたとはいうものの、どうせ日本の標準は世界に相手にされないから、進めていっても世界の標準が後からやってきて水の泡となる危うさがあった。どんよりした空気感であったことは今も覚えている。


次に、モデル流通のためのインターフェースガイドラインの苦労:国際編。

 当初、欧州のMBD技術のキーマンだけはあてがあった。モデルベース開発の重鎮 F博士だった、欧州各国のMBD関係者が誰もが彼に敬意を持ち、彼が認めてくれればだれも反対をしないとされるキーマンであった。F氏は、MBD技術の父とも言える、ボンドグラフ理論で有名なP博士の愛弟子。先述の1998年に出願した車両モデル構造に関する特許(その技術が生まれて使われ始めたのは1985年頃)、その特許サーチで、ボンドグラフという理論だけが、かなり似通った技術ということは、その時から知っていた。 私たちは、毎年、F博士に会いに行っていた、そしてこのように話し合っていた、「私たちは異母兄弟だ、全く違うところで生まれたが、とてもよく似たMBD流儀を共に進化させてきた。この流儀を世界に広げたい。」F博士のおられる会社は、1987年設立で、ボンド理論を用いたモデルで有名な会社。私たちもちょうど同じ頃(1985-)、このエネルギーモデルを開発していた。当時はお互いの存在を全く知らない関係であったが、瓜二つの技術は、同時に育っていたことになる。

 次に、標準化活動のキーマンは、当初まったくあてがなかった。標準化活動について、世界との調整をどのように取れば良いのか!? 欧州で各国の主導をしているのはどの団体か?キーマンは誰か? ここは日頃からの人脈が糸口を見つける鍵となった。欧州の大手MBDツールメーカーX社Y社と密な人脈があり毎年技術交流会をしていた。そことの交流会アジェンダに、MBDガイドラインの紹介をいれたのだ。小さな交流会で進めたおかげで、いろんな本音情報が出てきた。そして、X社が引き合わせてくれたのはその国のその活動を握る大物K氏 だった。さらにY社が引き合わせてくれたのはその国のその活動を握るもう一人の大物、大手OEMのE氏だった。欧州は、モデルガイドラインについていろんな綱引きをやってることを理解した。なかなか詳細まで決まらない事情も理解した。

 これら大物の人たちと事前にWINWINのネゴできたことは、「私たちがまず小さな輪を作ろう。次に欧州を1つの輪にしていこう」ということだった。

  私は、会議の終わりに、大物*氏につぶやいた、「あなたの国と日本が組めば、過半数を超えて、どの国も無視できない大きなパワーを持ちますよ」と


 その後、急展開が始まった。

欧州でのALLJAPANモデルガイドライン説明会が二カ国で計画され、その説明会場も先方が準備してくれた。

 その第一回説明会の直前、説明会の前にどうしてもネゴシエーションしておきたいことがあると、その国を代表するMBD活動団体から熱望され、彼らの本丸を訪問した。極めて少数で、先方TOPと戦略的意識合わせをした。これが午前。
 午後からは、多くの方を集めた ALLJAPANモデルガイドライン説明会 が別の会場で開催されるので、タクシーでとんぼ返り。その会場には、MBD活動団体も大手ベンダーも大物メンバーも、同席してくれた。それ以外、関係ありそうなたくさんの人を集めてくれていた。歓迎ムードで説明会が終わり、全員での記念撮影をした。この写真が、あとでとても役に立つことになる。

 1日目を終えた、日本チームは最高の気分だった。1つ祝杯をあげよう、となり、夜は ワイン&カニパーティ。うまい海産物が、テーブルに数段のトレイで高く積まれ向かいの席の人の顔が見えないくらいの状況、これをたいらげ、ワインで祝杯をあげた。しかし、お会計で青ざめることになる。数名で20万円越え。 若手の幹事が金額の交渉なしにお任せコースにしていたためだった。そのときから、この幹事は、カニキング と呼ばれている(笑) 


 翌日、飛行機で、隣国、第二回目の説明会場へ移動。そこでの司会進行は、その国の標準化団体が務めてくれた。会場には、多くの部品メーカー、ツールメーカー、自動車OEMも集まっていた。説明会での、やりとり、反応、、、は停滞していた。意見もあまり出してもらえない。質問してもかみあわない。ガイドラインは一つにまとまるはずはない、欧州で何年もやってきて難航していることが、日本の提案でどうなるものでもない、、、そんな冷めた空気感を感じた。

 その空気を切り替えたく、こう切り出した。「モデルガイドラインは、OEMのためではなく、多くの中小部品メーカー様のために必要だ。世界中の多くのOEMがバラバラな流通ルールで進めたら、中小部品メーカー様は破綻してしまう。国際ルールを統一するしか答えはない。日本が作ったガイドラインを押し付けるつもりは全くない。私たちのルールをすべて変更してもらっても良い。私たちはそれに従う。大事なことは1つに統一することだ」

 部品メーカーZの代表が、これを受けて話し始めた。彼はやや興奮し紅潮した顔で、「このままでは、自分たちはMBDの個別対応で破綻する、、、」という意味の演説をしてくれた。他にも何社か、日本の意見に同調してくれた。

 きわめつけは、昨日の第一回説明会の参加者で、ある団体の代表者が、飛び入りで少しプレゼンさせてほしい! と主催者に申し入れ、PCを接続した。そこに出たのは、昨日の記念撮影の画像。そして彼はこう切り出した。「私たちは日本と連携し、この標準化活動を進めたいと考えている! 昨日、その合意をした」。 会場の空気の温度が一気に上がった、と感じた。

 この会議の最終合意事項は、「日本のガイドライン案をベースとして、今後3国が1つのガイドラインを作るための協議を進めることに合意する」となった。

 ここからは順調だった、約1年をかけて、3国の関係者が合意できる ガイドラインが仕上がっていった。

 

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