11.  日本発 MBD国際標準 <第一話>


 2018年、日本発の MBDモデル流通ガイドライン、が欧州に認知されたことは歴史的快挙といってよいだろう。標準はすべて欧州発であり日本はいつも追従、がこれまでの常だった。

 この物語を最初から最後まで語れるのは、私しかいないはずなので、記述を残しておこうと思いたち、ここに書いてみる。私しか語れないのには理由がある、8年もの活動期間内に、各社とも活動メンバーは3代目や4代目となり同じ人が残っていないからだ(苦笑)


 2013年、日本の自動車OEM数社、パワートレイン領域の人たちが有志となって、開発生産性改善のための研究会活動が始まった。それは将来に対する危機感から始まった、将来のあり方を語る自然発生的な自主活動だった。 メンバーは各社の担当役員と技術キーマン。 会議は、保養施設や、温泉、お寺、、、、心が解放される場所で、しばしば泊まり込み合宿形式で行われた。 その中で2つのテーマが定まってきた。1つはエンジン開発、もう一つはモデルベース開発。この成果の一つが、エンジンの研究組合AICE設立であり、もう一つが、MBD推進センター JAMBE 設立となったわけである。AICEは早々に結成されたが、難産はMBDで、当初は話が噛み合わないところからはじまった。これくらいのことは、1年もあればまとまると、当初私は思っていたが、国際標準ガイドライン初版までに5年、JAMBEとしてまとまるまでに実に8年もの歳月が必要だった。


 初めの頃、話がまとまらないポイントは主に次のようなことだった。

1)MBDは社内で頑張るものであり、これを社外と一体で行う価値観が理解できない

2)百歩譲って、MBDを社外と一体でやるとしても、流通ルールが統一されるはずがない

  (MBD製品種類が多くありそれぞれツールメーカーごとにバラバラ、OEMごとに利用ツールもルールも

   バラバラ。仮に日本が頑張って標準整備しても世界に無視されるから無駄だ、という意見)


 そのころ唯一、価値観を合意できたのは、

「将来の複雑な開発は構想設計を間違えると大変なことになるから、構想設計段階で目標整合を取るMBD技術を協力して育成しよう」 ということだった。 まずは、この点だけで細々と継続された。


 2014年頃、モデルベース開発の専門家たちが、構想設計用車両モデルのアーキテクチャ設計をする合宿をやった。扱った元ネタは、一番複雑な車両システムであったハイブリッド車。全ての技術要素を持つ複雑なもので整理しておけば、EVが来ても、他のタイプの車両が来ても対応は難しくないとの思いから。素案の、車両モデルの全体構成図(詳細ノウハウを抜いたスケルトンモデル)を持ち込んで議論をした。ハイブリッドのシミュレーションモデルを開発した経験ある専門家T氏、エンジンCAEのエキスパートS氏、、、も集まった。どんなブロック構造で構成するか、どんな性能まで表現するか、接続方法は? 、、、ガイドラインはどこまで決めるべきか、をとことん議論した。


 2014年7月、国内のMBSEの権威のK大学S教授と意気投合でき、S教授のガイドで欧州MBD調査ツアーを一緒に行うことができた。
当時、先進的MBDを進めていると言われた、フランス 航空機開発メーカー エアバス社、 ドイツの 自動車OEM や MBDツールメーカー、大学研究者、などを一緒に訪問できた。エアバスは、20年前に自動操縦システムの開発をするため、競合である 米国 ボーイング社 と組んで、航空機のMBD標準を作り、その業界はその標準に基づいて、部品メーカーが業務を行なっていることを知った。
自動車についてのMBD標準は、欧州でもまだ存在していないことも知った。自動車だけでない多くの業界をいれた標準化活動を欧州は推進しており、業界が様々すぎて、詳しいところまで決めることはできず、なかなか1つにまとまっていない様相だった。

 ドイツでの夜は、地元のビアホールで、満席だったが、地元の年配の人たちが相席に座れと歓迎してくださった。 1リットルほど入るサイズのビールジョッキで頼もうとしたら、たしなめられ、それは女性用ジョッキだから、これにしろと、2リットルの特大ジョッキで乾杯した。


 2015年、某省庁の方達と、OEMの相談の場が持たれた。8月猛暑の日曜日だった。省庁内の冷房は休日は動かないので扇風機で我慢してくださいという環境で、汗をぬぐいながら数時間の会議が行われた。OEMからのお願い事は、大手の会社だけでなく、小さな会社へもMBDによる生産性革新を浸透させるためのご支援をいただきたいというお願いであった。これは快諾され、強力な後ろ盾、予算もいただいたことを、今も感謝している。加わる会社も増え、求心力も急激に増していった。


 活動予算をいただき、様々なタイプの車両モデル を実際に動くシミュレーションモデルとして仕上げ、広く一般へ無料配布できるようにまでした。この反響は、予想以上のものがあり、大学や研究機関が、このモデルを利用した研究を始め、中小の企業での利用が始まり、まだこの活動に参加してなかった某OEMは、このモデルに合わせて、それまでの社内MBD資産を作り直したと、きいた。

 しかしこの当時、その成果は、1つの構想設計用車両モデル事例の共有に過ぎなかった。まだ解決できていない難課題が残っていた。それはモデル流通のためのインターフェースガイドラインを、標準として世界に認知&展開し、国際レベルで自動車業界がつながり、生産性改善を実現する道を付けることだった。

 

My BLOG    

TopPage

▶︎                           http://i-models.jp/Advisor/TopPage.html
http://i-models.jp/Advisor/-MyBlog/mu_ci.html

〜 ミスター・モデルベース開発       と呼ばれた男の独言 〜

ヘンジニア